釜石市両石町の津波襲来映像記録ビデオ上映とシンポジウム、撮影者の瀬戸元さんを招いて

◉12月9日、神戸芸術工科大学で「地震と津波を受けとめて」自然災害を語るシンポジウムが行われました。
釜石の一つ北側の湾にある両石町は豊かな海に恵まれた豊かな漁港ですが、たびたび津波の来襲を受け
被害を受けてきましたが、この度の被害は昭和33年の大津波で高台移転した集落も根こそぎさらって
行ったほどの、経験したことのない大津波だったとのこと。
これを「後世に伝えなくては」とビデオ撮影し続けた瀬戸元さんを迎え、上映と体験談を主に神戸の被災
体験者と被災地支援をしている二人の建築家を交え、写真家の宮本隆司さんがファシリテーターで。
被害を少なくするのは「経験を語り継ぎ、忘れないこと」幾度も被災した地域に住み続ける人の言葉には
強い説得力があり、大型スクリーンでの映像はUチューブとは全く違う臨場感がありました。


★参加パネラー
・瀬戸元(ビデオ撮影者、釜石市両石町復興協議会会長)・季村敏夫(詩人、神戸震災体験者)
・宮本佳明(建築家、大阪市大大学院教授、ゼンカイハウス)・斎木崇人(建築家・神戸芸術工科大学学長)
・宮本隆司(写真家、神戸芸工大教授、九龍城砦)
 阪神・淡路大震災直後の神戸を撮影第6回ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展に
 宮本、斎木氏と共同出展して金獅子賞を受賞

このシンポジウムは瀬戸さんの映像DVDを斎木学長から見せられた宮本教授が、現地を訪れ瀬戸さんに
インタビューして親交を深め東北支援に関わるようになったのがキッカケとか。
瀬戸さんの話を少し紹介
・引浪は悪魔の笑い鬼の爪、後に残るは涙のタネ。
 ビデオで瀬戸さんは「地獄だあ、地獄だあ」と叫び続けていたが、記憶がないとのこと。
・助かるも助けるもまず命!「命てんでこ」人助けようとして命を落とした人が多く出た。
 まず逃げなくてはならない「鬼になる心を持てるか」何で自分だけ逃げた、助かったかと悩むな!
・津波は来るのでなく襲う!700mを1分で来る。5分で逃げられる場所の目ッコをつけておけ。
 日頃から家族で話し合っておけ。今回は一人の死者も出さなかった。
・昭和33年の津波での3人の死者の内2人は障害者だったが、今回は要援護者に1対1で軽トラに
 乗せて逃げる役割の人を決めていた。
・上に立つものの判断の重要さ。的確な指示があれば犠牲者はもっと少なくすんだ。
(例えば、福島で備蓄されていたヨード剤の配布・飲用を、政府指示を待たずに独自判断で行った
 自治体がいくつあっただろうか?)
・箱眼鏡で海底を見るのが怖い。瓦礫は100m以上沖に沈んでいるが・・・。

<津波などの画像は瀬戸さんのビデオ記録上映画面より撮影させて頂いたものです>

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★西神ニュータウンは、神戸市西区・須磨区の丘陵地帯に住宅と産業を中心とする複合機能団地として計画された。
 西神住宅団地が1982年、神戸研究学園都市が1985年で5校の大学と高専や専門学校、高校や中小学校が集中。
 最寄り駅「学園都市駅」は三宮から市営地下鉄の西神・山手線で20分程度。
by yamana-4 | 2011-12-11 16:42 | 東日本大震災
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