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ゆめ風基金の障害者支援報告(抜粋)

障害者支援を行っている「ゆめ風基金(代表牧口一二さん)」の報告の抜粋です。
大阪でも、現地でもボランティアの人手が足らず希望者を求めています。
http://yumekaze21.blog39.fc2.com/
"http://homepage3.nifty.com/yumekaze/index.htm
<報告の抜粋>(転載ご自由に)
・4月6日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、
 64,052,391円になりました。手持ち資金と合わせて全ての資金を
 今回の被災障害者の支援に使い切るつもりです。


・このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援
 ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長バクバクの会事務局員でもある
 河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、
 転送自由。自由にお使いください。

・息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、
 郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金「とうほく」と書いてください。

 ボクの友人で、足に少し障害のあるひとがいます。
某障害者作業所の責任者をしているのですが、そのひとが、自宅で、手首を切って、自殺を図ったとの知らせでした。
最近、心が風邪をひいたようなので、何度も話しをしていて、心配していたので、ショックを受けました。(泣)幸いに、
発見が早く、傷も浅かったのか、出血も止まり、救急車で、病院に搬送されたとのことです。
ホッとしたものの複雑な気持ちに陥りました。その友人とは、今回の大震災救援金を集める活動を一緒にしていたのです。
 被災地では、多くひとたちがいのちを断たれ、生き残ったひとたちが、生きることに、必死になっている。
それを支援しょうと救援活動をしている人間が、いくら心の風邪ひきとは言え、自らのいのちを絶とうとするとは、
あまりと言えば、あまりじゃあないかと。
 ボクも、最近、ちょっぴり、心が風邪気味だけれど、被災地の今に想いを馳せれば、そのような選択は有り得ない。
怒りと悲しみがない交ぜになって、言葉を失って、風に吹かれるままでした。

 ある、大阪府下の自治体消防士の話。そのお連れ合いが、友達に話したこと。
その友達がボクの友達です。大震災直後、岩手県被災沿岸部に派遣され、安否捜索活動に従事したけれど、
高い木の上に、何人もの遺体があり、それを収容するのが、とても辛かった。そんな光景や、遺体安置所の光景は、
メディアの映像には、採用されてはいない。
 あの作業は、1週間が限界だ。それ以上は無理。精神的に持ちこたえられない。
本当に伝えられないことが多過ぎると憤慨しているとのこと。それにしても、自分たちは、大阪に帰ることが出来る
けれど、被災地の人たちは、ずっといるわけだから、その人たちのことを想うと、言葉を失うと。

<ゆめ風基金が派遣した八幡理事の現地救援活動の報告の>
・3月30日、現地入りしましたが、目を見張るものがあります。前回19日に入った時には、街は、真っ暗で、人通りは、
 ほとんどなかったけれど、今は、同じところなのかと見違える位の、賑わいで、びっくりしました。
 ライフラインもかなり復旧していますが、拠点から少し離れた海岸線は、津波のキズ跡がそのままあります。
 しかし、ガソリン不足は続いています。

・31日、市社会福祉協議会で聞くと、精神障害者の日中活動拠点1ケ所が津波で消失。知的障害者の作業所が1ケ所、
 地震で全潰だそうです。午後からは、地元障害者団体、13団体が集まり、現状報告、意見交換をして、
 宮城県内被災障害者支援のための、:被災地障がい者センターみやぎ:を立ち上げることを決めました。
 その中のひとつに、石巻市の避難所になっている、遊学館がひどい状況になっているとの報告もありました。

・4月1日、打ち合わせ。、ゆめ風ネット埼玉の吉田さんの友人、新野さんと一緒に石巻市に行くことにする。
 三陸自動車道は、車で走れるものの、地震のせいでデコボコになっており、制限速度が50キロ。
 最初の訪問先のしょう心会事務所は、海岸に近く、車がひっくり返り、船が打ち上げられていました。
 それから、ひたかみ園:知的障害者更生入所施設:を訪問。施設は、建て替え中で、土地が少しだけ高くなって
 いるので、津波からギリギリで被災しなかった。そのおかげで、町民の避難所になっており、40人程のひとたちが
 避難しており、6人程の、車イス障害者を確認しました。
 19時に拠点に帰り着く。東京のJILのメンバー2人が、救援物資を持って到着。夕食を取りながら、意見交換。
 東京の杉田さんが合流。新宿よりバスで。

・4月2日、埼玉の吉田さんの友人、本吉さんたち2人が救援物資を持って到着。
 9時、毎日新聞の取材を受ける。10時、名古屋わっぱの会からボランティア2人到着。明日からの活動説明。
 明日以降も、何人かのボランティアが入るので、訪問は中止。資料作りに専念。たすけっとの障害者の井上さんが、
 県内の福祉サービス事業所に電話入れ。障害者の安否確認。今後、ネットワークに属さない団体、個人の安否や
 ニーズを調べる。
 大阪は、宮城県。東京は、福島県と言う枠組みを取り払い、全体的な取り組みにし 、
 長期に支援に入れるボランティアを集める。
 福島県は、原発事故があるので、事情説明の資料を作る。

・4月4日、わっぱの会の2人に、多賀城市などの調査に行ってもらう。大阪から、新たなボランティア松浦さん到着。

<新野さんの報告の一部>
  ほとんど寝たきりの障害者、140人程が避難している避難所に出会いました。
 市、社会福祉協議会、医師、看護師などもいながら、その避難所の運営主体は、誰なのか不明のままです。
 一般避難所では、難しいひとたちが、ここに集められたらしい。その中に、子どもが4人いたのが不思議な光景で、
 声をかけてみると、友達に誘われて来たボランティアとのこと。全員裸足で、2週間程続けていると。
 しかも、中学生1、2年生で、かなり疲れている感じがした。
 体育館のようなフロアに布団が敷き詰められているのは、他の避難所と同様だが、座位を保てるひとがほとんどおらず、
 排泄もその場で行っている光景は、他の避難所と明らかに異なっている。
 子どもたちのボランティア姿が、痛ましく見えて、胸が締め付けられた。
by yamana-4 | 2011-04-07 14:31 | 東日本大震災
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