「どこまで支援するか迷う」??

◉観念的な支援でなく、しっかり見守ることが大切では?
新聞にこんな投稿がありましたので「支援される立場」からお願いです。
[新聞投稿文抜粋]
駅前商店街の不法駐輪で困っていた白杖の男性を手引きして気になった。
手足の不自由な子供たちの教育経験から「本人に困難なことだけ支援、できることを支援するのは失礼なことだと考えてきた。」しかし、実際の場面ではどこまで支援するか迷うことが多い。いつも一歩手前で支援を止めてしまっている。経験を重ねながら、どこまで支援するのが適切か探っていきたいなと考えている。
(毎日新聞読者投稿欄「みんなの広場」3月7日掲載)
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一番大切なのは「きちんと見ること」だと思っています。
私は普通型の車いすでないので、飲食店でも会議でも座席に移乗したいのですが「介護専門家や知識のある人ほど、聞きもせずに一方的にイスを取り除く」ことが多くて困っています!
私の車いすではテーブルに就けないことは、見れば分かりそうなのですが「車いす=イスを除ける」と無条件にやってしまう。
「その人に必要な手助けは?」としっかり見ずに「知識で支援」をしようとするからでしょう。
どこまで支援するかは障害の種類や程度、その人の能力や考え方、使っている機具などによって皆違うと、分かっている専門家がサッサとイスを取り除きます。

投稿者は元養護教員の方のようで、専門家の一員と思いますが「どこまで支援するか迷う」と書かれているのは、やはり「何が必要かよく見る」ことより、「知識で支援」しようとされているからではないでしょうか?
何時でも通用する一般的な支援はありません!「本人が必要としていることを手伝う」で良いのではないでしょうか。

少し詳しく説明すると以下のようなことでしょうか。
「何か困っている?」とよく見定めて、必要だと思ったら声を掛けてから手伝う。
障害者に限らず、お年寄りや子供、いろんな事情で見守りの必要な人は沢山います。
ドアを開けていてもらうと助かるのは車いすだけではありません。
歩行困難なお年寄りや妊婦さん、荷物の多い子供連れなど、一寸した手助けが嬉しい人は多い。
旅行者で迷っている人も困っています。 
「障害者だけ特別に支援しなければ」と考えないでください。
手助けが必要な人には「お手伝いします?」と声を掛けて、求められたら手伝う。

でも、視覚障害の人へは声を掛けてあげて欲しい場面が多いですよ。
ホームから転落事故は付近にいる人が見守れば防げるはずです。
「親切」というより外国のように「マナー」とか「人として当たり前のこと」をする感覚であって欲しいと願います。
by yamana-4 | 2010-03-07 18:20 | 障害者問題 | Trackback | Comments(1)
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Commented by 車いすのおいさん at 2010-03-08 03:18 x
小さな親切!。大きなおせっかい??。
さりげなく、サポートして、さりげなく、どういたしまして!。
と言える人は少ないですね。
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