<   2011年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

里美セクハラ・パワハラ裁判のゆくえ

◉4月27日、一応の結審、職権による和解調停へ
 大法廷が多くの支援者で埋まったことを受け止め、裁判所が事の本質にそった調停を行ない、
良い和解条件で合意できれば言う事はありません。そうなる事を願います。
JR側が自分たちの非を認めて謝罪したり、このような事態が再び起こらないように社内体質を
改善することは、福知山線事故以来の課題であったはずですが、この裁判の経緯にはそのような
気配がありません。
 和解条件には里美さんへの謝罪だけでなく、社外の専門家と被害当事者などを構成員にした、
体質改革のための勧告委員会設置などが含まれることを希望します。
 しかし、JR側がこのような条件に合意するとは思えず、判決へ進む可能性が高いと思われますが、
問題は裁判官がどこまで踏み込んでくれるかです。和解の条件提示である程度「推測できるのでは」
という話なのですが、厳しい条件の場合は合意せずに、判決を求めるのも苦しくなります。
 良い判決が出され、判例として確定するのが最善ですが、そのようにならない場合は調停に応じて、
判例を残さない判断が必要になるかも分かりません。
ですが、そうすれば1審判決のみが残ることになり、また問題が残ります。
 裁判官の良識が発起されるよう願いますが、
支援する側もよく考えておかなければならないと思います。
勇気ある裁判に立ち向かっている里美さんに、苦しい判断をさせることが無いよう祈ります。
<裁判詳細は「里美ドットコム」をご覧ください>
http://satomi-heart.cocolog-nifty.com/

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by yamana-4 | 2011-04-28 13:14 | 障害者問題 | Trackback | Comments(0)

災害時の危機管理を産学協同開発する大阪産大、栂さんたちの試み

◉「バリアフリー展2011大阪」で注目した展示

1産学協同開発「危機管理のUDデザイン製品」
大阪産業大学大学院は、独創的なアイディアと行動力で新しいビジネスを創造し、成功に導くことができる
人材育成を諮り、具体的な課題にとりくみながら、知識とスキルを習得するPBL(Project-Based Learning:
具体的な課題設定型学習)システムを柱とするカリキュラムのもとに「アントレプレナー専攻」課程を設置
しています。
ここでユニバーサルデザインを担当している特認教授「栂紀久代」さんは大学院生を指導し、災害時の危機
管理研究と企業と恊働した災害時用機器の開発を行っていて、その成果を展示・発表されました。
今、大変タイムリーな発表で、機器開発の実用性、機能性、デザイン性などの一層の高まりを期待したい。

 ★災害時の危機管理研究内容
<・危機管理に関する問題点の抽出・天災を人災に変えないための計画・災害時の危機管理のUDデザインの
 要因と実践・UDデザインの危機管理・福祉避難所の指定と福祉避難所ハザードマップの作成・地域活性化
 を社会貢献で・救助方法などの検証・災害時の危機管理 自助、共助、公助>
 なお、圧死を防ぐ安心ベッド枠などの「防災シェルター」を独自に自治体補助している都市は34あります
 が、補助金額は50〜10万円まで大きな格差があります。しかし、補助を出すのはまだ先進自治体だけです。
(高額補助/東京都中央区100万円、50万円 渋谷・練馬・台頭・中野区、町田市など、条件のある場合あり)

2 機能性、デザイン性の優れた「車いす吊上げ収納装置」
車のジョイスティック運転装置などのニッシン自動車工業は、車のルーフ取付け「車いす吊上げ収納装置」
を開発販売しているが、シンンプルで、機能的で、デザイン性の優れたUD製品です。
隣で展示しているトヨタは同じ機能の製品を自社開発しているが、ニッシン製の方が優れており、どうして
わざわざ自社開発するのか? 優れた先行製品を導入しないのか? 疑問を感じました。
おそらくトヨタの技術者も、そのことは感じていると思うのですが!


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by yamana-4 | 2011-04-17 20:58 | 防災 | Trackback | Comments(0)

宮城県と福島県の被災地視察の報告 4/1〜4/4(DPI-MLより)

★ゆめ風基金へ震災以後寄せて頂いた救援金83,735,666円 4月13日現在
救援金のご送金は/郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金
ゆうちょ銀行 店番099 当座0040043 ユメ カゼ キキン

◉被災地での様子をお伝えします。
テレビが通常放送に戻り、だんだんと物流や交通機関も復旧してきている
というニュースが流れ始めていますが、
今もなお明日の不安を抱えながら、ぎりぎりの状況で生きている人々がいます。
どうか、そんな人たちのことを忘れないで下さい。
下記は4月1日から4泊5日のスケジュールで行った、
救援本部安達さんの宮城県と福島県の視察の報告です。

<DPI日本会議メールマガジン(11.04.8)第289号より転載>

<4月1日>
 地震から3週間たったこの日、仙台市太白区のCILたすけっとを訪問した。
 東北道は多少の凸凹はあったが復旧しており、八王子から5時間程度で到着した。
 出迎えてくれたスタッフの笑顔にほっとしつつ、
 さっそく乗り付けたトラックの荷台から布団や経口栄養剤などの物資と原付を降ろす。
 事務所に入り、温かいせんべい汁をご馳走になりながら、この3週間の話しを聞いた。
 スタッフは無事であること、市内のライフラインはほぼ復旧し日常生活は営めること、
 今後近くに仮設住宅ができるであろうことなど。

<4月2日>
 多賀城市と石巻市の避難所を訪問した。
 「やるべき事は、現場を見たらわかる」という佐野さん(ぽてとファーム)の言葉通り、
 避難所は多くの問題を抱えていた。
 多賀城市文化センターは避難者で足の踏み場はなく、むっとする空気で溢れていた。
 和室に入れた人やロビーのソファーが使えた人はまだ良いが、
 多くは堅いタイル敷きの廊下にダンボールとせんべい布団を敷いて寝起きをしている。
 一目で、高齢者や障害者が長期生活ができるような環境ではないとわかる。
 タイルの廊下の片隅で、ダンボールの上に敷かれた布団がシワ一つ無く
 きれいに折りたたまれている光景に目を奪われた。
 辛い避難生活の中にありながら、身の回りのものを整える事を忘れない心遣いが、
 とても痛々しく、胸がしめつけられた。

 避難所生活の壮絶さを初めて目にして言葉もなく、ただ石巻市へトラックを走らせた。
 津波被害にあった石巻市立病院の患者が避難しているという遊楽館(ゆうがくかん)を目指す。
 ここはスポーツ施設で、体育館がある。
 体育館に150~160人の患者がきれいに並べられているのだが、ついたては一切無い。
 説明によると看護師やヘルパー等の人手が足りず、
 ついたてがあると患者の急変に対応出来ないという。

 人手不足を解消するために、近所の中学生がボランティアで手伝いに来ており、
 布団の間を歩き回りながら、 患者が手を挙げたら看護師を呼ぶ役割を担っていた。
 ついたてがないと言うことはプライバシーが無い。
 オムツの交換が必要な患者は、その場で布団をはぎ取られ、
 下半身を露わにされてオムツ交換となる。
 それが、ボランティアの中学生の目の前で行われている。

<4月3日>
 福島県に移動し、福島市、南相馬市、郡山市を訪問する。
 福島市ではILセンター福島の方々を訪ねた。
 マスコミ報道でも知られているが、福島市は第一原発から30km圏外であるが
 放射線の測定数値は高い。
 殆どの家庭で子供を他県の親類縁者の所へ避難させていると言う。

 「今後、福島県出身だというだけで結婚できない、という福島差別が起こるだろう」
という言葉に、福島の人達が抱える恐怖を垣間見た。

 114号線を東へ走り、南相馬市に入る。街は閑散とし、商店は閉まり、人気が無い。
 とりあえず市役所へ行くと、日曜日にもかかわらず多くの市民が住民課を訪れていた。
 転居届を出しているのだろう、と思った。
 ボランティアの受付は社会福祉協議会へ、という張り紙を頼りに、社協へ。
 救援物資の受け付け場所にもなっていた。
 トラックのナンバーが八王子なので気になった、という男性が話しかけてきた。
 この男性も八王子からボランティア活動をしに来たという。
 男性によると、この物資受付所で10名程度が活動しているが、
 南相馬市の人は1人だけで、あとはボランティアらしい。
 中を見せてもらうと、私設の倉庫程度の物資しかない。
 これで現在市内に残っている2万人の市民を支えるのは無理があるだろうと思った。
 話しを聞くと理由は原発だ。隣の相馬市なら行ってくれるドライバーはいても、
 南相馬市へと言うと一様に断わられるらしい。
 しかたなく、ボランティア達が相馬市の倉庫へ物資をもらいに行っていると言う。

 海岸へ向かい、津波被災地を見た。家も田畑も、道路のアスファルトも、
 高圧電線の鉄塔までも流されてしまった現場で、
 ゴルフクラブを手に泥の中を歩く住民の姿があった。
 津波から3週間、毎日何かを探し歩いているのだろう。涙があふれた。

 郡山市へ向かう道中、浪江町へと続く道路が警察車両によって封鎖されているのを見た。
 オフィスILを訪問した。

<4月4日>
 いわき市と田村市を訪問した。
 原発から20km圏内の川内町等の人々が避難しているビッグパレットふくしまを訪問した。
 1万人ほどの人が避難生活をしているという。
 施設内には、人目や寒さを防ぐためダンボールで作った小屋が建ち並ぶ。
 蓄積された知恵が、長い期間ここで生活していることを伝えている。
 ここで不思議に思うことが2つあった。
 一つは障害者の姿を全く見かけないと言うこと。
 人口の8~10%が障害者であるという日本政府発表からすると、
 800~1000人程度の障害者がいてもおかしくないのだが。
 もう一つは、介護が必要な方のスペース、と張り紙がされている場所が2階にあると言うこと。
 エレベーター前もダンボールハウスで埋め尽くされ、
 エレベーターが機能していないことが推測できるのだが、
 どうやって要介護者が2階へ移動するのか、不思議である。

 日のある内に被災地を見ておきたくて、いわき市へと急いだ。途中雪が降ってきた。
 いわき市もライフラインが復旧しつつあり、
 街には部活帰りと思われる自転車通学の学生が集団で走っていた。
 CILいわきには連絡もなく行ってしまったが、快く出迎えてくださった。
 CILいわきは現在新宿区の戸山サンライズに避難している。
 しかし、集団避難も時間的に限界があると言う。
 事業を中断している間に一度はなれたヘルパーは二度と戻ってこない、という不安がある。
 なるべく早く戻り事業を再開しないと、今後の障害者の生活が保障できなくなるらしい。
 しかし、原発の怖さは常に念頭に置きつつの事業運営となる。
 いざとなれば150人規模で集団避難できるルートと避難先を確保しなくては、と言う。
 しかし、いわき市全土が避難勧告が出ると言うことは、福島市も郡山市も同様であり、
 100万人が避難するということになる。
 それをどこで受入れるのだろうか。
 その時点でも東京は全く原発被害がない、とは言えなくなるだろう。

 夕方、田村市にとある夫妻を訪ねた。

 農家は土地を本当に大切にしてきたんです。手を掛けて可愛がれば、土地は応えてくれる。
 猫の額ほどの土地でも、他人の手に渡らないようにするために
 近しい親類縁者と結婚して守り抜いて来た。
 それを手放すのはどんなに辛いか。
 放射能に汚染された土地でも、見た目には全くわからない。
 それが悔しい。色が付いていたり、臭いがしたりしてくれれば、あきらめもつくのだけど。
 と、涙ながらに話してくれた。

 言葉につまる妻にかわって、微笑みながら言葉をつなぐ夫の
 「福島は貧しいところなんです。日の当る土地は田畑にし、自らは日陰に住むんです。」
という言葉が、深く胸に突き刺さった。

 多くの介護派遣事業所も被災し、利用者の安否確認が進んでいない。
 現在仙台と郡山に現地拠点を設置し、その作業にあたっている。
 今後、仮設住宅のバリアフリー化、介助派遣の人材確保、
 ヘルパー講座の講師派遣、被災者の心のケア、ピアカウンセラーの派遣、
 原発被災者の避難場所の確保、などなど思いつく課題は沢山ある。
 ひとつひとつ、しかし早急に進めていきたい。

障害者救援本部の最新情報および支援金の寄付の受付はこちら↓
http://shinsai-syougaisya.blogspot.com/
by yamana-4 | 2011-04-08 13:13 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(1)

ゆめ風基金の障害者支援報告(抜粋)

障害者支援を行っている「ゆめ風基金(代表牧口一二さん)」の報告の抜粋です。
大阪でも、現地でもボランティアの人手が足らず希望者を求めています。
http://yumekaze21.blog39.fc2.com/
"http://homepage3.nifty.com/yumekaze/index.htm
<報告の抜粋>(転載ご自由に)
・4月6日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、
 64,052,391円になりました。手持ち資金と合わせて全ての資金を
 今回の被災障害者の支援に使い切るつもりです。


・このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援
 ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長バクバクの会事務局員でもある
 河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、
 転送自由。自由にお使いください。

・息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、
 郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金「とうほく」と書いてください。

 ボクの友人で、足に少し障害のあるひとがいます。
某障害者作業所の責任者をしているのですが、そのひとが、自宅で、手首を切って、自殺を図ったとの知らせでした。
最近、心が風邪をひいたようなので、何度も話しをしていて、心配していたので、ショックを受けました。(泣)幸いに、
発見が早く、傷も浅かったのか、出血も止まり、救急車で、病院に搬送されたとのことです。
ホッとしたものの複雑な気持ちに陥りました。その友人とは、今回の大震災救援金を集める活動を一緒にしていたのです。
 被災地では、多くひとたちがいのちを断たれ、生き残ったひとたちが、生きることに、必死になっている。
それを支援しょうと救援活動をしている人間が、いくら心の風邪ひきとは言え、自らのいのちを絶とうとするとは、
あまりと言えば、あまりじゃあないかと。
 ボクも、最近、ちょっぴり、心が風邪気味だけれど、被災地の今に想いを馳せれば、そのような選択は有り得ない。
怒りと悲しみがない交ぜになって、言葉を失って、風に吹かれるままでした。

 ある、大阪府下の自治体消防士の話。そのお連れ合いが、友達に話したこと。
その友達がボクの友達です。大震災直後、岩手県被災沿岸部に派遣され、安否捜索活動に従事したけれど、
高い木の上に、何人もの遺体があり、それを収容するのが、とても辛かった。そんな光景や、遺体安置所の光景は、
メディアの映像には、採用されてはいない。
 あの作業は、1週間が限界だ。それ以上は無理。精神的に持ちこたえられない。
本当に伝えられないことが多過ぎると憤慨しているとのこと。それにしても、自分たちは、大阪に帰ることが出来る
けれど、被災地の人たちは、ずっといるわけだから、その人たちのことを想うと、言葉を失うと。

<ゆめ風基金が派遣した八幡理事の現地救援活動の報告の>
・3月30日、現地入りしましたが、目を見張るものがあります。前回19日に入った時には、街は、真っ暗で、人通りは、
 ほとんどなかったけれど、今は、同じところなのかと見違える位の、賑わいで、びっくりしました。
 ライフラインもかなり復旧していますが、拠点から少し離れた海岸線は、津波のキズ跡がそのままあります。
 しかし、ガソリン不足は続いています。

・31日、市社会福祉協議会で聞くと、精神障害者の日中活動拠点1ケ所が津波で消失。知的障害者の作業所が1ケ所、
 地震で全潰だそうです。午後からは、地元障害者団体、13団体が集まり、現状報告、意見交換をして、
 宮城県内被災障害者支援のための、:被災地障がい者センターみやぎ:を立ち上げることを決めました。
 その中のひとつに、石巻市の避難所になっている、遊学館がひどい状況になっているとの報告もありました。

・4月1日、打ち合わせ。、ゆめ風ネット埼玉の吉田さんの友人、新野さんと一緒に石巻市に行くことにする。
 三陸自動車道は、車で走れるものの、地震のせいでデコボコになっており、制限速度が50キロ。
 最初の訪問先のしょう心会事務所は、海岸に近く、車がひっくり返り、船が打ち上げられていました。
 それから、ひたかみ園:知的障害者更生入所施設:を訪問。施設は、建て替え中で、土地が少しだけ高くなって
 いるので、津波からギリギリで被災しなかった。そのおかげで、町民の避難所になっており、40人程のひとたちが
 避難しており、6人程の、車イス障害者を確認しました。
 19時に拠点に帰り着く。東京のJILのメンバー2人が、救援物資を持って到着。夕食を取りながら、意見交換。
 東京の杉田さんが合流。新宿よりバスで。

・4月2日、埼玉の吉田さんの友人、本吉さんたち2人が救援物資を持って到着。
 9時、毎日新聞の取材を受ける。10時、名古屋わっぱの会からボランティア2人到着。明日からの活動説明。
 明日以降も、何人かのボランティアが入るので、訪問は中止。資料作りに専念。たすけっとの障害者の井上さんが、
 県内の福祉サービス事業所に電話入れ。障害者の安否確認。今後、ネットワークに属さない団体、個人の安否や
 ニーズを調べる。
 大阪は、宮城県。東京は、福島県と言う枠組みを取り払い、全体的な取り組みにし 、
 長期に支援に入れるボランティアを集める。
 福島県は、原発事故があるので、事情説明の資料を作る。

・4月4日、わっぱの会の2人に、多賀城市などの調査に行ってもらう。大阪から、新たなボランティア松浦さん到着。

<新野さんの報告の一部>
  ほとんど寝たきりの障害者、140人程が避難している避難所に出会いました。
 市、社会福祉協議会、医師、看護師などもいながら、その避難所の運営主体は、誰なのか不明のままです。
 一般避難所では、難しいひとたちが、ここに集められたらしい。その中に、子どもが4人いたのが不思議な光景で、
 声をかけてみると、友達に誘われて来たボランティアとのこと。全員裸足で、2週間程続けていると。
 しかも、中学生1、2年生で、かなり疲れている感じがした。
 体育館のようなフロアに布団が敷き詰められているのは、他の避難所と同様だが、座位を保てるひとがほとんどおらず、
 排泄もその場で行っている光景は、他の避難所と明らかに異なっている。
 子どもたちのボランティア姿が、痛ましく見えて、胸が締め付けられた。
by yamana-4 | 2011-04-07 14:31 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)

大災害でご両親を亡くした子どもたちの保険金請求がとても困難

「大災害でご両親を亡くした子どもたちの保険金請求がとても困難です」
ファイナンシャルプランナーの安田さんのブログより抄録転載


マネーセラピストの安田です。
これをお読みのみなさま最後まで読んで、是非、お力を貸してください。
(文章が下手で長いですが、お願いします)

3月11日の大震災のあと、テレビで流される映像や新聞記事をみて、
こころふさがれる思いでいっぱいになりました。
自分に何ができるだろうと考えて、今まで行動してきました。
いま、一番気になっているのは、大震災で親を失った子どもたちの保険金の請求です。
以下に書いたように説明するのも大変なほどカンタンには、請求できません。
前途はとても多難!なんです。

生命保険は「請求しないと保険金は払わない」というのが原則です。
ですから、小さな子どもであっても保険請求をしないと、親が入っていた保険の保険金は支払われません。

今回、生命保険会社は
1.通常の免責事由をやめて、地震や津波によって亡くなった人がたくさん出たにもかかわらず、
  死亡保険金を満額払うと決めたこと
2.通常、契約の決まりでは保険料が払えないと2ヶ月で失効(契約がなくなってしまう)するところを
  6ヶ月に延長したこと
3.生命保険協会を通じて、家族が、どこの保険会社に契約をしたのかという保険契約の照会をはじめたこと
  「災害地域生保契約照会センター」平日9時から17時まで 0120―001731
など、いち早く表明、行動したことは本当に素晴らしいと思います。

受取人であれば、保険証券が手元になくても死亡保険金請求ができるようにしている保険会社が多く、
それも心強いことです。
海難事故等での行方不明者の場合は、通常は1年経たないと推定死亡宣告(死亡と認められる)されないのですが、
今回は、特別立法で、3ヶ月になりそうです。
これで、家族が行方不明で死亡が確認されない人であっても3ヶ月過ぎて、自治体で死亡確認をしてもらえれば
保険料(掛け金)も払えない状態が続いても6ヶ月以内に請求をすれば、保険金が手に入ります。

ただし、保険料も払わず(払えない状態ですが)6ヶ月の間に請求をしなければせっかく今まで払ってきた、
「家族に残すための保険」は失効します。(=保険金を受取る権利が無くなります)

親を失った未成年の子どもはどうでしょうか?

生命保険協会の開設した契約照会センターでは、「未成年者の孤児の場合は、親権者を立ててください。
その方からの請求ならば、契約照会をします」と回答していました。
「親権者」とは親のことです。親を亡くしているのに?どういうことでしょうか?
では、どのようにするのかと聞いたところ「裁判所で聞いてくれとのこと」。

これはおかしいと思い、友人の弁護士に聞いたところ、「ありえない!」と。
そこで友人にセンターに電話をしてもらい両親をなくしているのだから「未成年後見」の間違いではないかと
指摘してもらったところ、「調べます」とのこと。
折り返しの回答は「未成年後見人か又は正式に委任している弁護士」ならば照会に応じるとのこと。

未成年者が正式に弁護士に委任するには、後見人が必要なんです!
結局は未成年後見人をつける必要があるってことなんですよ。
ということで、生命保険協会も迷走していたようです。う~ん、前途は多難だ!
さて、それでは、両親をなくした子どもが未成年後見を申請するには、どうするのか。

子どもの住所地を管轄する家庭裁判所に申請をしなくてはなりません。
岩手に住んでいた両親をなくされたお子さんが北海道の親戚に引き取られたとすると北海道の家庭裁判所ではなく、
岩手のその地域の家庭裁判所まで出向かなくてはなりません。
(書類でも大丈夫かは裁判所に聞いてくださいね)

両親が行方不明の場合は、推定死亡が出る3ヶ月を待って、それから地元の家庭裁判所に申請をすることになります。
申請にはお金がかかりませんが、書類が結構多いです。

子どもの戸籍謄本、住民票、後見人になる人(候補者)の戸籍までは難しくありませんが、
無くなった両親のそれぞれの除籍謄本や改製原戸籍(生まれてから死んだときまでの戸籍全部)が必要になります。
生まれてからずっと同じところに住んでいる場合はともかく、結婚して他の地域から来た人などの
戸籍をすべてそろえるのには、手間と時間がかかります。なれない人だと、1ヶ月はかかるかもしれません。
申請書も上申書などで事情を書いて、速やかに申請を許可してもらわなければ、ここでも時間ばかりが過ぎていきます。
(´-д-;`)

何とか申請が通り、親戚の方が正式に未成年後見人に選任されてから、やっと生保契約照会センターに電話することが
できるのです。(やれやれ)
照会センターに問い合わせて探しだしてもらうのには、今現在、3週間ほどかかるといいます。

この大震災でご両親をなくした子どもが親が残した大切な保険金を手にするまでにはこのようなことを経なくてはなりません。
ふぅ。書いているだけで、くたびれます。

例えば、孫を引き取った70過ぎのおばあちゃんが一人でここまでできるかなぁ?
どう思われますか?
私には、1歳未満の孫がいますが、例えば、被災地に住んでいて今回の災害に遭い孫だけが生き残ったときはどうなるでしょうか?
私は事業をしているので、生命保険をしっかり掛けています。
私の母も死に受取人の夫が死に、未婚の娘が死に息子も配偶者も死んでしまったときに、残されたのが、その孫だったとします。
孫を引き取った人は息子の保険は探すと思われますが私の保険まで探すと思いますか?
私の保険はどうなるのでしょうか?
どうしたらよいのでしょうか?

私は保険会社に行動を起こしてもらいたいと思います。
生命保険会社は「保険請求をしないと保険金を払いませんよ」という原則の上に胡坐をかいて保険金請求を
「待っている(受身)」のではなく、
被災地域の被災者の安否確認を生命保険会社が自らが積極的にしにいくという行動を起こして欲しいと切に願います!!!

険会社には、たくさんの営業社員がいますよね。その人たちを全国から動員してでもやって欲しいです。
そんなことをしたら、新規の保険契約は少なくなってしまうからやらないのだと思いますけど、
今回の場合、そのようなことを考えないで、契約者を大切にして欲しいと思います。
保険は「残された家族のための愛情」です。それを消しさって欲しくないです。

避難所をめぐって契約者を探し歩いているある保険会社の代理店がいることは知っています。
自分も被災されているのに。素晴らしい行動です。
地元の営業担当者だった人の中には、今回の災害で亡くなった人もいるでしょうし、廃業されたりしているかもしれません。
保険の保全は、本社扱いと言って担当者のいなくなった保険契約も最近では増えている傾向にあります。
とすれば、担当者任せでは無く、保険会社自体が契約者の安否確認の行動を起こすべきだと思うのです。

そこで、ここまでお読みいただいた皆様へのお願いです。

ツイッターやブログ、フェイスブック等で、各保険会社に対して被災地の契約者の安否確認や法定相続人を探す努力をして
欲しいと訴えてください。受身ではなく、行動を起こして!と。
団体を組織している方は、是非、各生命保険会社に申し入れをしてくださいませんか。
また、発言が社会的に影響を持つ人をご存知の方はその方に、このことを知らせて保険会社に働きかけをしてくれるよう
お願いしてください。

同時に被災者の方に向けて6ヶ月以内に!保険金請求をすることを忘れないようにと書いてくださいませんか。
どこの保険会社かわからなくても大丈夫だから、と。
とりあえず生命保険協会の「契約照会センター」に電話するように伝えてください。
特にお子さんだけが残されたご家族をご存知の方は、是非、早めに行動を起こすことを伝えてあげてください。


以下略、安田さんのブログは下記より
http://my-fp.livedoor.biz/
各地の裁判所はこちら
http://www.courts.go.jp/map.html
未成年後見人の手続はこちら
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui/kazi/kazi_06_12.html
この災害での申請について弁護士に相談したいときには「法テラス」に電話して相談してもいいかもしれません。
0120-366-556(フリーダイヤル)
by yamana-4 | 2011-04-07 06:59 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)

「ゼンカイハウス」の建築家宮本さんの被災地レポート

◉阪神・淡路大震災で全壊した生家を再生された
「ゼンカイハウス」の建築家・宮本佳明(かつひろ・大阪市立大学大学院教授)さんが、
被災地の仮設住宅などの助言や調査で現地へ行かれた報告です。

(転載許可を受けて公開、同大学院理学部教授M先生からの質問への答えでもあります)

宮本です。
昨日夜、東京を経由して釜石から戻りました。
レスが遅くなってすみません。

(M教授の質問:大量の学生ボランティアを送ることができれば、よいとは思ってはいますが、
テレビ報道では、被災者の水、トイレが問題になっています。ボラン ティアが行ったら水、トイレの問題を
より深刻化させる懸念はどう克服できそうか知りたいです。)

トイレですが、釜石に関してはまったく問題ないです。
正確に言うと、ボランティアを受け入れられるような地域ではそもそもトイレについて問題ない、
ということです。

つまり、これは予想通り被災の程度のグラデーションが相当はっきりしていることを意味します。
他にもいろいろ分析して、ようやく被災地全体の構造が見えてきました。メディアではきちんと報道さ
れていないと思います。
途中からどっかで聞きつけたNHKのクルーが我々に帯同しましたが、彼らとて釜石にずっと張り付いているとかで、
被災地の全体を把握している訳ではないとのことでした。

一番驚いたのは、地震そのものの被害は想像以上に少ない、というか実質「ない」ということです。
これは意外でした。被害のほぼ全てが津波が原因です。日本という国において、どうも人類の歴史上初めて建築に
ついては耐震設計が「完成」したようです。

以下が重要なのですが、
おそらく広い被災地全体としておよそ4段階くらいに分類できると思います。
仮に、被災の程度の軽い方からレベル1、2、3、4とします。

レベル1:
若林区を除く仙台。死者と行方不明者の人口に対する率が0.04%、これは「阪神」の時の宝塚市よりもちいさな
数字です。
この数字には津波に襲われた若林区を含んでいないことを勘案すると、実質は尼崎市以下のレベルだと推測されます。
つまり仙台は被災地なんかじゃない。東北大の友人の先生方にも、オマエらは支援されるより支援する側に回れ!と
言うています。

レベル2:
 亘理町、岩沼市、大船渡市など報道されるその他多くの被災地。上記に率は概ね1%台から0.1%台。
「阪神」の時の灘区、東灘区、長田区あたりに相当します。人口規模が違うので単純には較べられませんが、
 大変な状況であることは間違いない。

レベル3:
 宮古市、釜石市、気仙沼市、石巻市など上記に率が数%の町村です。「阪神」の時に特別にヒドかった地域、
 例えば芦屋市津知町、同清水町周辺が同じような感じです。ここまでは想像が可能です。
 今回僕が訪れたのも釜石市なので、東京からの参加者(東大都市工学科北沢猛さん西村幸夫さん系)は相当
 ショックを受けたようですが、僕ははっきり言って驚きませんでした。

レベル4:
 ここが問題です。いずれも人口規模1~2万くらいの大槌町、陸前高田市、女川市、おそらく山田町もここ
 に含まれるが不明者がまったく集計できていない。上記に率でいうと10%程度。これは我々にとって未知
 の領域です。この人口規模のエリアとしては「阪神」でも経験したことのない被害です。

さらには同じレベル3の釜石市のなかでも、津波の上がらなかった「西部」「鈴子」は無傷で通常通りの生活
が営まれている。
現地の人に案内されてフツーに暖かくて美味いうどんが食えた。もちろん電気もあり。
一方、海岸沿いの「東部」は壊滅、テレビの通り。
行く時間がなかったが、鵜住居(うのすまい)という別の入り江はレベル4ではないかと思います。
こっちが心配。僕はレベル4に特化したいと思います。

という訳でM先生、僕が今知る範囲ではレベル3までは普通にボランティアが入れます。
今回の(津波)被害は、全壊と無傷に二分されて半壊状態の建物も地区も存在しないということが特徴です。
皮肉にも、けが人が少なかったということとパラレルですね。。

僕は13~14日と三陸すべてを歩きます。効率的に動くために必ず1人で動く予定です。
目的は、生活を取り戻すために「三陸高地漁村」の敷地に当たりをつけて、実際に設計するためです。

ちなみに今回の釜石行きは、仮設住宅のレイアウトを中庭を囲んだ囲み配置に変更させるためのものでした
(行ってから知った)。既存の良好なコミュニティを維持するために。
地元(釜石市の担当課長、岩手県の沿岸広域振興局長)の絶大な支持を得て、彼らの名代として走った盛岡の
県庁で、福島・宮城・岩手の平等と速度を盾に提案を阻まれました。
ただし、国交省を説得してくれたらとの文言ももらったのでその線を責める予定です。

まだまだ報告しないといけないことは一杯ありますが、なにぶん時間がないのでこのへんで。


宮本佳明 Miyamoto Katsuhiro
(株)宮本佳明建築設計事務所
〒665-0003 兵庫県宝塚市湯本町4-29
TEL/0797-87-6075 FAX/0797-87-6077
e-mail/ km@kmaa.jp
http://www.kmaa.jp
by yamana-4 | 2011-04-07 02:49 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)

素早い連係プレーで成功した被災地の透析患者広域搬送1100人

◉被災地の透析患者には停電や断水が命に関わり、救済は緊急を要することですが、
見事な連携プレーでいわき市の透析患者1100人もが各地の病院に搬送され、
受け入れられたことが掲載されているので要約転載します。

(週刊文春3月31日号/病院情報ファイル2011/取材構成・恵原真知子)

 いわき市南部にある「いわき泌尿器科病院」は、原発から50キロ離れているが、いずれ避難が必要と
なるかも知れない。入院患者百人、通院患者千人の透析患者をどうするかで困っていた。
 腎不全に対する血液透析はまさに患者の命綱で、週三回透析治療を受けている患者が丸々一週間透析
をしないでいると確実に死んでしまう。透析は、患者一人につきに十人分の生活用水を要する。
装置が無事で、海水淡水化装置などがあれば被災地でも可能としても、断水と放射能漏れが拡大しつつ
あり、もはや患者移送しかなくなった。

 苦境を知った千葉の亀田総合病院の副医院長が理事長と諮り受け入れを決め、さらに知り合いの医師
に呼びかけ、千百人の大移動計画が立てられた。
 推進役は帝京大教授。主な多数の受け入れ先は(東京)東京女子医科大・昭和大・東京大(大阪)阪
和病院(兵庫)共立病院など。
透析ができないことで患者を死なせてはならないという思いから、〇四年に災害情報ネットワークが構
築されたが、これがフル活用された。

 入院患者は受け入れ先が決まれば無事に搬送するだけだが、通院患者が遠距離に移動した場合は宿泊
施設も必要になり、それらも含めた対応が求められる。東京の宿泊先については猪瀬副知事が奔走。
道路事情も悪く、ガソリン不足の中で、新常磐交通が真っ先に受け入れ、次々に協力会社が参加。
透析関連の薬剤メーカーなどにも協力を要請し、応じてもらったという。
 震災から七日目の十七日、東京、安房鴨川方面に向け八百人が出発し、残る三百人は順次、新潟や関
西に向かう。東京に着いた三百六十人は避難所に入った。

広域搬送のシステム化を
被災地において、慢性疾患患者の治療は、被災地で続けるより平常な場に患者を移送した方が合理的と
され、自治医大などは早くから受け入れOKをメール発信していた。この広域搬送システムが完備し、機
能すれば、医師が宿泊先探しまでする必要がない。一日も早く実現してほしい。
 災害情報ネットワークができていたことが幸いだが、たった数人の医師と民間の協力でこれだけのこ
とが数日のうちにできててしまったのだ。
ピンチのときこそ人や組織の真価が表れるのだろうが、勘のよい医師が数人集まると、こんな大仕事も
あっという間に解決するというお手本。
by yamana-4 | 2011-04-02 10:40 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(2)