カテゴリ:障害者問題( 10 )

シンポジウム「あなたが裁判員になったとき、被告人に発達障害があったらどうしますか?」

◉大阪の弁護士会のシンポジウム
「あなたが裁判員にたったとき、被告人に発達障害があったらどうしますか?」
〜発達障害ってどんな障害?〜 (参加報告)
このシンポジウムは発達障害を持つ刑事被告人の裁判員裁判で、検察の求刑より重い判決が下され、判決理由が「更生への受け皿が無く、今後の見込みもないので社会からの隔離が必要、許される限り長期の刑を課すことが、このアスペルガー症候群の障害者被告にとって有効である」との驚くべき認識が示されたに対する危機感から開催されたのでした。
被告の経歴や障害特性、発達障害への理解不足と事実誤認、など一審の誤った判決は上級審で覆されましたが、社会的常識を補うために設けられた裁判員が関わった裁判で、このような間違いと偏見に満ちた判断が裁判員によって示されたことは、放置できない大きな問題であり、関係者にとっては衝撃的な判決だったのです。

基調講演「発達障害者と刑事手続き」
脇中洋 大谷大教授の話しは、発達障害とは何かを分り易く解説し、刑事手続き上の問題、司法と福祉の連携、更生のために必要なことなどの内容でした。現場経験のある脇中先生の発達障害の解説はとても分り易く、取り調べ段階で特に問題が大きく「事実調べの段階から"反省を強要"」すること、他との関係が苦手な障害者への誤った誘導など、"理解できない"ことを認識できていない。
アメリカやイギリスなどの取り調べに比べ、大変問題が多い。
最後の4項目は触法障害者だけでなく、一般的に当てはまることでしょう。
「どのようなとき人は変われるか」
・不安や怯えが無く脅かされない環境の中で
・いま現在の自己存在を肯定的に受けとめられたとき
・支援されるばかりでなく、社会的な役割を得たとき
・社会の見る目が変わったとき

大阪弁護士会 高齢者・障害者総合支援センター弁護士による発達障害者の関わった殺人に至った
事件の概要、障害が判決に及ぼした影響、判決結果の判例調査報告
パネルディスカッション、会場との質疑応答など内容の濃いシンポジウムでした。

★大阪弁護士会は連続講座やシンポジウムを多数開催されていて、次回以後の予定は(全て無料)
 2/22 意思決定に困難を抱える人を支え合う社会を目指して
   〜成年後見制度から意思決定支援法まで〜
 2/24 第3回人権講座 自然災害と国際的な保護基準
   〜被災者と国際人権法〜
 3/ 1 拡大する貧困に立ち向かう
   〜ソーシャルワーカーと法律家のコラボ〜
 4/12 特定秘密保護法関するシンポジウム
*大阪弁護士会 友の会「べんとも」に登録すると開催情報が送られます。
http://www.osakaben.or.jp/tomonokai/system/index.php

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by yamana-4 | 2014-01-19 15:57 | 障害者問題 | Trackback | Comments(9)

"ありがとう問題" 障害者の立場からは

◉"ありがとう"について岡さんがFacebookに次のような書き込みをされ
みんながコメントして議論が起こっています。
採録してみなさんに読んでいただき、障害者の立場からはよく議論される"良く考えなくてはならない
問題"であることを知り、もう一度考えて欲しいと思います。


★岡さんの問題提起
「バスでは、お金を払って、ありがとう
 昨日のRACDA幹部会で話題になった。バスを降りるとき、自然に「ありがとう」と言っているけど、
 運転手もありがとうと言っている。これってお金を払う方も、もらう方もともに感謝しているいい例だよねって。
 ふつう商店で買い物して「ありがとう」とは言わない。医院に行って治療してもらったら、
「ありがとう」というけど、先方は「お大事に」と言うのてあって、お金をもらっても「ありかどう」とは言わない。
 どんな業種でお互いが「ありがとう」と言うのか。美容院や散髪屋さんでは、お互いにありがとう。
 タクシーもそういえば、言うなあ。飲食店では「ありがとう」か「ご馳走様」。
 どうしてお金を払って「ありがとう」と言うのか、RACDAメンバーの一人は「歩くと苦痛の距離を乗せてもらうから、
 苦痛から開放されるのでありがとうではないか」と言う。
 だけどJRの駅などでも、田舎の駅の駅員には言うかもしれないが、自動改札のあるような大きな駅では言わないよね。
 そこで僕は思った。やはり「人と人が1対1で接するとき、言う傾向が強い」のではないかと。
 これはICカードの場合でも「ピッ、ありがとう、ありがとう」となるものね。バスって安らぐのは、この「ありがとう、
 ありがとう」があるのでは。だとしたら、バスの乗らなくなれば、感謝する癖がなくなり、世の中は不安定化する。
 こういう現象を定量化できないから、赤字なら廃止する、と言ってしまう。
 実は過度に発展した自動車社会の副作用として、人の心の独善化を僕はあげている。講演ビデオをまた公開しよう。
★コメント
・大阪では買い物をしても、お客が普通に"ありがとう"って言います。とても自然に子供も言っています。
・関東ではバスで乗客は「ありがとう」とは言いませんね。後払いの時に運転手さんは確認の意味で言ってますが、
 言わない人もいます。
・私はある人に教えられてから、意識して『ありがとう』って言うように心がけています。
 電話を切るとき、頭を下げるとき、握手をするとき、『ありがとう』ではない時も『ありがとう』って出るときがあります。
 自動改札機に『ありがとう』って言えたら『ほっこり』するでしょうね。
・確かにお金は払いますけど、そりゃあ…、それとは別で、基本的に乗せてもらったから…ですよ。
 私はそんな気持ちで言ってます。お互い、そのほうが気持ちいいんじゃないですか。
・母は、市バスを降りるときいつも「ありがとう」と言っています。ところで、岡さんの最後の文面は、当方も同感です。
 車は好きな時間(真夜中でも)に好きなところ(道路があればどこでも)へ行ける、しかし、鉄道やバスは時間と路線を
 相手(運行会社)に合わさなければならない、しかも、他の乗客と空間を共有する、すなわち、それは協調性だと思うのです。
 皆さん、いかがですか?
・経済学では明らか。商品やサービスを提供した側は原価以上の支払いを受ける(生産者余剰)、買った側は価格以上の満足を
 受ける。(消費者余剰)。だから両方ありがとう。私はすべての買い物の時に「ありがとうございました」と言うようにしています。
 片方のみがありがとうと言う取引は自由主義経済では成立していないはずです。この双方の有難う度を金銭評価したのが
 まさに交通事業の便益です。でもバスに乗る前から消費者余剰があるかどうかわからないと不安になります。
 たとえば、バスが遅れてきたので歩いた方が結果的に早かったとか。
・"ありがとう"は、心の満足を表現する方法だと思います。模型屋で、自分が欲しかった鉄道模型を入手した際、
 鉄道マニアが「ありがとう」と、店員に言っているのを見たことがあります。
・もバスから降りるときは、「ありがとうございました」と言っています。自分を輸送するために、仕事であっても、
 運転手さんは苦労しているのですから。
・コメント読みました。ヨーロッパのLRTのある都市では、低床電車は常識。それも電動車椅子介護なしでどこでも一人で行けるように
 なっています。駅員の補助は必要ない。日本は遅れてますよね。
 もっと遅れてしまったのは、公共心。戦争に負けて、日本人は公共心を失ってしまったようですね。
「強いものには巻かれて、とにかく経済成長」という風潮が蔓延してしまった。
・コメントありがとうございます。バリアフリー法の本当の精神は"介助無しに乗降できる"ようにすることだと思いますが、
 鉄道もバスもスロープ介助が当たり前と思われています。少しの投資で必要なくなるのにムダなことです。段差隙間解消も
 数値目標を決めれば50年も経てば本当のバリアフリーが実現するのに"出来るだけ平に狭く"ではいつまで経っても直りません。
 交通基本法に"移動の権利"を入れると通らないと引っ込めたけど結局は・・と同じで、原理原則の基になる部分を疎かにせずに、
 きちんと組み立てないとその場しのぎに終わってしまう公算が大で、根は同じと考えています。

★私が本ブログに取り上げた障害者にとっての"ありがとう"問題
「新聞に気になる投稿が。あなたはどう考えますか?」

◉「感謝しているか、自問」無職 68才女性(福岡市東区)
 電動車椅子だけでの移動はには限度があるけれど、公共交通機関を利用することで行動範囲を広げている。
 電車なら、駅員さんに行き先を告げれば、到着するころにはスロープを手配してもらえる。私は安心して利用している。
 先日、電車から降り、駅からエレベーターで地下街へ行き、ウィンドーショッピングを楽しんでいた時のこと。
 背後から初老の男性に声をかけられた。駅から私の後を追いかけてきたというので驚いた。「駅員さんにお礼は言いましたか」
 と問いかけられ「はい。もちろんです」と私。その男性は満足そうにうなずかれただけで去っていかれた。
 男性へは即答したが、深く考えないで習慣の言葉として「(駅員さんへ)ありがとう」と言ったのではないか。
 常日ごろ、きちんと感謝を意識して行動しているか。忘れがちになっていたことを、気付かされた。
 声をかけてくれた男性に感謝した。
[10/28/2008 毎日]
◉「この投稿に対して」(毎日新聞「みんなの広場」へ投稿しました。)
 車いすでの乗降に、駅員がスロープ介助することは普通になっていますが、感謝の言葉はもちろん人として当然でしょう。
 しかし、こんな話も聞いてください。
 電動車いすの知人と地下鉄に乗車した時、「ありがとう」を言わないのです。なぜと聞いたら「子供の時から何をしてもありがとう。
 もう言い疲れた」。はっとして胸が痛くなりました。普通のことをするのに彼は、何度「ありがとう」と言ってきたのか、
 何時も何時も言い疲れるほどに!
 障害歴の浅い私も、最近彼の心情が分かるようになりました。でも「ありがとう」は言い続けています。
 「親切」と一般の人が思っていることへ感謝を表すことは、車いす使用者みんなのためと思っているからです。
 ドアとホームの段差がなければ、言わなくても済みます。ありがとうの回数を減らす社会であって欲しいと思っています。
 [11月17日掲載]

◉68才女性の考えと、お礼を言ったか確かめた人の考えについて
 親切に素直に感謝することは当たり前のことです。手間を掛けている駅員へ「ありがとう」と言う気持、このような手間を許容する
 社会に対して、感謝する気持ちを持つことは大切なことと思います。
 しかし、駅員のスロープ介助は「親切」ではなく「仕事」です。また、やろうと思えば東京の三田線や大阪モノレールのように、
 簡単に段差解消はできるのです。これは車いすのためだけでなく、高齢者やベビーカーの人など多く乗客にとって役立ちます。
 長い目で見れば人件費を削減できコスト的にも利点があるでしょう。
 どこかに行くのに一々行き先を告げ、途中で降りたいと思っても決めた駅でしか降りれない不自由さが、どんなに苦痛か考えてみて
 欲しいのです。電車に乗るだけでもそんな毎日なのに、ニコニコして「ありがとう」と言い続けるのはケッコウ大変なのです。
 でも「ありがとうを言い疲れた」と言わすのは悲しいですね。声を掛けた男性はどこまで考えての上だったのでしょか。

 ずいぶん前、初めてパリに行った時、偶然サンジェルマンの地下階段に車いすの男性が一人でやって来たのを見ました。
 どうするのか見ていると、たまたま一番近くにいた四人が車いすを持って階段を降ろしました。
 それがとても自然で、車いすの人も持った人もサラッとしていたのです。
 よく考えてみると、彼らはその行為を"親切としてやっているのではないな"と気付いたのです。
 "人として当然のことをしている"のだという考えが、身に付いているから自然なのだろうと。
 
 車いす介助が駅員や運転手の仕事になってしまった日本、公共交通に乗るのに"感謝"要求されなくてはならないのか?
 当たり前のことにも感謝を表すことを期待され、疲れしまった人がいて良いのか?
 素直に感謝して自問した女性も、もう少し掘り下げて考えるとどう思うのでしょうか。
 あなたは、どう思われますか?

 介助されて乗る、自力でみんなと同じように乗り降りできる、全く違うことです!

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by yamana-4 | 2012-11-22 01:33 | 障害者問題 | Trackback | Comments(0)

レイプ被害を告発した勇気ある障がい者女性の支援に参加を!

◉誰も聞いてくれない~レイプ被害を告発した障がい者
 「社会の側の問題を問う」
 ABC朝日放送「テレメンタリー」が里美さんのドキュメンタリー番組を制作し、
 1月21日深夜1時から放映。
 1/21 毎日新聞夕刊(大阪本社版)の2面「チェック」<TV番組紹介コラム>に
 番組紹介記事が掲載されました。
 毎日が朝日の放送記者を取材し番組紹介をする、しかも社会問題の!
 異例の取り上げ方であり、関心の高さを感じます。ぜひ、支援にご参加ください。

★放映:1/21.25時(日曜日深夜1時〜)ABC朝日放送「テレメンタリー」
★1/18 最高裁へ上告受理申立理由書が提出されました。
 支援ブログ:里美ドットコム
 http://satomi-heart.cocolog-nifty.com/ 

里美さんコメント
「我が事ですが、今後の「性犯罪被害」のイメージ改革にも繋がって行くだろうと
 期待を寄せている、とても大切な番組だと考えています。
 人として、正々堂々と生きられることが当たり前なのに、日本はそれを当たり前に思っていない。
 私もそうだったけれど、性犯罪被害に遭ったから、周りに自分が責められるから…辛くて苦しくて、
 誰かに助けて・と言いたいのに、それすら怖くて言えない。
 責められる事も、人と関わることにも疲れて『もう、いい…。』
 そう言って、自殺する被害者がいるんです。
 私も、もうどうしたら良いのかすら分からなかった時があった。
 でも、やっぱり死にたくなかった…。死んだって何も変わらないから。
 生きて、ちゃんと闘わないと「命」を守れないんです。
 誰もやろうとしないなら、私はその誤った考えに真っ向から立ち向かうと、思ったんです。
 今は、なかなか理解してくれない人が居たとしても、いつか私が伝えたいことが
 実を結んで欲しいと思ってます。」

★心ないコメントは止めて下さい!
「レイプではないだろう」「合意の上だ」とかのコメントがありました。
 これは裁判で認定されている事実であり、放映を見てのコメントか分かりませんが、
 事実誤認も甚だしく、悪質ないたずらとして削除しました。
 
 ★毎日新聞 番組紹介記事(クリックで拡大)
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by yamana-4 | 2012-01-21 22:17 | 障害者問題 | Trackback | Comments(0)

バスのバリアフリー勉強会12/21、JCIL(京都)の乗車拒否への抗議活動


◉JCIL(日本自立生活支援センター)のメンバーは、滋賀県の帝産湖南交通社への車いす乗車拒否と
大津市の石山駅で車いす使用者のバス降車時に起った転倒事件への抗議と撤回を要求する活動を行っています。
帝産湖南交通は転倒事故の事実を認めず、低床バス運行している157のバス停留所のうち、
わずか29バス停以外の乗車を認めていません。
また、運転手に車いす乗車取り扱いをしないバス停を指示する内部規定も作成していることも明らかになりました。
近畿運輸局へは道路運走法13条(合理的理由なしの乗車拒否禁止)違反事案として調査の上、行政処分や改善勧告を
と要請し、数回の事情説明を行い3ヶ月になろうとしていますが、関係機関との協議が終わらないと、
当初11月末にはと言われていた回答がまだありません。
JCILメンバーは、帝産湖南バスのバス停の調査を行い近畿運輸局へ提出、主要拠点の石山駅や草津駅でビラ撒きなど、
調査や要請、抗議と地域住民への訴えの活動を続けています。
このような活動を行うための基礎的な「バスのバリアフリー関する勉強」を行いました。

★抗議活動の経緯は本ブログをご覧下さい。
http://kurumaisyu.exblog.jp/17079569/
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c0167961_9511949.jpg(当日使用のパワーポイントから抜粋)
by yamana-4 | 2011-12-23 09:58 | 障害者問題 | Trackback | Comments(0)

障害児の自立と親の関係、太田修平さんの配信文

障害連の太田修平さんが下記の文章を配信されましたので転載します。

◉自立しようとする障害を持つ子と親にとって、親子の関係は常に大きな問題です。
小学校では、ほとんどの親が地域の普通小学校に入学させたいと思っていますが、
中学に上がる時にすごく迷う親が多くいます。
障害者として生きて行く上で「普通学校よりも特別支援学校の方が為になるのでは?」と
思われるからです。
地域社会で普通に暮らしていくことは、障害を持つ子にとって楽な行き方でないかも分かりません。
しかし、どのような行き方をするかを決定するのは本人の意思であり、その決定が出来る能力を
育てるのが親の役割であり、どこで、どのように学ぶかが重要なのです。

「障害児は特別支援学校」と決めつけることは、最初から決定の選択肢を狭くすることではないでしょうか?
学校の福祉体験授業でも「車いすを押す」ことが始まりのように考えられていますが、
「移動は自力で」が基本です。
押されて移動していて自立なのか?
車いすを押す事に意味が無い訳ではありませんが、自立という観点から見ると
親子の関係に似て問題を含んでいると思いませんか。
障害を持つ子は「最初から障害者としてのみ生きなければ」と決められてはたまりません!


★親子、障害、そして総合福祉法 / 太田修平
 [転載] 障害連事務局FAXレター No.232 2011.11.22(火)

 今日、ある会合があった。障害のある人の親御さん(特に知的障害)が多く出席していた。
 その時思い出したことがあった。私が長年暮らしていた施設を出る考えを両親に話したときのことだった。
両親、特に母親は「施設を出て地域で生きるなんて考えないで。私たち親はあなたが安心な場所で暮らして
くれることを一番望んでるの。それがあなたの一番の幸せよ」と泣きながら私に訴えたのだった。
 両親は私をとても可愛がってくれた。だけど私が自己主張すると必ずこう言うのであった。
「あなたには何もわからないのよ、親のやることにつべこべ言うことないんだから、あなたにとって一番いい
ようにしてあげるんだから」と。そこで親子喧嘩が始まっていく。友達に聞くと、どこのうちもだいたいそう
いう傾向があるようだった。一部の人は親に逆らっても無駄だと思い、言うがままに任せていた。
そうすると親の目からは、「この子は自分では何も考えられない」と映ってしまうようだった。

 親子関係は難しい。子どもに障害があると特にそうだ。どこの親も「子どもはいつまでも子ども」だという。
障害の場合は、原因の多くを障害のせいなんだととらえる。親はいつの時代も子が「できない」理由を見つけ
出そうとする。
 今度できる総合福祉法は、障害のある本人が主人公として人生を歩めるためのものにしていかなくてはなら
ない。親の思いや干渉はほどほどのところで、ガードできる仕組みである。ほどほどはあっても良い。
それが普通だ。
 子どもは親が思うより、ずっとずっと考えているのだ。
ときには存在全体が、思考し、表現し、訴えているのだ。

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車いすフィギュアは横浜リハ・沖川さんのコレクション
by yamana-4 | 2011-11-23 10:11 | 障害者問題 | Trackback | Comments(0)

「停電弱者」存在知って! 京都でのシンポジウム報告

◉<シンポジウム「震災と停電をどう生き延びたか」~千葉と福島の在宅難病患者・人工呼吸器ユーザーらを招いて>
「停電弱者」とは人工呼吸器が必要なALS患者や人工透析患者のことと思いがちですが、
電動車いすユーザーにとっても停電は本当に困ることですし、災害時や計画停電で何が起こって
どんな備えが必要なのか知って、備えておかなければならない問題なのです。
「電力供給の不足が関西電力のエリアでも叫ばれる中、京都で人工呼吸器を使って在宅で暮らす重度障害者らに幅広く
呼びかけ、東日本大震災で停電に会った福島県や、計画停電が実施された千葉県で生命の危機に直面した人工呼吸器や
たん吸引機を使う人たちを京都に招き、その経験からどう暮らしを守り、地域で守る大切なものは何かを学びます。」
(実行委員会ブログより)
内容の濃い、たいへん勉強になったシンポジウムでしたので少し紹介です。


・主催「震災と停電をどう生き延びたか」実行委員会
 呼びかけ人:ALS協会近畿ブロック幹事 増田英明さん、NPO法人「ゆに」代表 佐藤謙さん
 パネリスト:「千葉県での計画停電による在宅生活への影響と非常時の備え」伊藤佳世子さん、三島みゆきさん
       「震災と福島 在宅を支える絆」佐川優子さん、安田智美さん、中手聖一さん、長谷川詩織さん
 ファシリテーター:立命館大学生存学研究センターの立岩真也さん
 詳しくは実行委員会ブログをご覧ください。
 http://shinsaiteiden.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

「計画停電中の苦労や今後の課題を語る在宅の難病患者や介助者たち」(京都市中京区・ハートピア京都)
 人工呼吸器を使い在宅で暮らす難病患者や重度障害者らによるシンポジウム「震災と停電をどう生き延びたか」が
18日、京都市中京区のハートピア京都で行われた。生命維持に電力が欠かせない「停電弱者」が、ポータブル電源な
どの確保や普段のつながりを強めるなど災害時の停電に備える必要性を訴えた。 
 京都市在住の筋萎縮性側索硬化症(ALS)や筋ジストロフィーの患者らが「平時から輪を築くきっかけに」と、
被災地などの当事者を招き約200人が参加した。千葉県の支援者が、東日本大震災後に実施された計画停電時に、
バッテリーを持たなかったり、使用の経験がなかった人が多くいたことや東京電力の対応が不十分で苦労した事例が
紹介された。
 ALS患者三島みゆきさんは「有事の際に何が必要かを把握するため一度家から出て旅行をしてほしい。
電力会社停電弱者の存在を認識して」と訴えた。
 在宅で父親の介護をする日本ALS協会福島支部の安田智美さんは、県内では、会員が患者全体の約2割だとし
「支援物資を患者に届けたかったが、会員以外の情報を行政は教えてくれなかった。個人情報保護が緊急時に患者の
命を守るのか。一方、多くの障害者団体が協力してくれ、つながりの重要性を実感した」と述べた。
【 2011年09月19日 】京都新聞記事転載

停電以外に日常必要としている医療用品の確保も問題です!
 医療的用品が切れることは障害者にとっては死活問題。だが、医師経由でしか入手できない。
 介護事業者が備蓄することも薬事法違反とか。
 避難時に持ち出せなかったらどうする?仲間で譲り合い?余分を持っている知り合いがいなかったら?
「薬事法違反になるので直接お出し出来ません」(メーカー)
 ひと月分くらいは自分で備蓄して自衛するのが一番でしょうか?
 福島の安田さん(ALS協会福島支部理事)「直ぐに困ったのは医療的用品」ゆめ風基金の最初の支援物資に
 いろいろ入っていて、集めたのは福井の医療関係者だったと。

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by yamana-4 | 2011-09-23 09:29 | 障害者問題 | Trackback | Comments(2)

里美セクハラ・パワハラ裁判のゆくえ

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◉4月27日、一応の結審、職権による和解調停へ
 大法廷が多くの支援者で埋まったことを受け止め、裁判所が事の本質にそった調停を行ない、
良い和解条件で合意できれば言う事はありません。そうなる事を願います。
JR側が自分たちの非を認めて謝罪したり、このような事態が再び起こらないように社内体質を
改善することは、福知山線事故以来の課題であったはずですが、この裁判の経緯にはそのような
気配がありません。
 和解条件には里美さんへの謝罪だけでなく、社外の専門家と被害当事者などを構成員にした、
体質改革のための勧告委員会設置などが含まれることを希望します。
 しかし、JR側がこのような条件に合意するとは思えず、判決へ進む可能性が高いと思われますが、
問題は裁判官がどこまで踏み込んでくれるかです。和解の条件提示である程度「推測できるのでは」
という話なのですが、厳しい条件の場合は合意せずに、判決を求めるのも苦しくなります。
 良い判決が出され、判例として確定するのが最善ですが、そのようにならない場合は調停に応じて、
判例を残さない判断が必要になるかも分かりません。
ですが、そうすれば1審判決のみが残ることになり、また問題が残ります。
 裁判官の良識が発起されるよう願いますが、
支援する側もよく考えておかなければならないと思います。
勇気ある裁判に立ち向かっている里美さんに、苦しい判断をさせることが無いよう祈ります。

<裁判詳細は「里美ドットコム」をご覧ください>
http://satomi-heart.cocolog-nifty.com/

ゆめ風基金に
震災以後寄せていただいた救援金 4月25日現在102,140,051円
届けた救援金 4月27日現在33,314,600円
by yamana-4 | 2011-04-28 13:14 | 障害者問題 | Trackback | Comments(0)

障害者の手助けは駅員の仕事でしょうか?

◉「障害者の手助け」新聞投稿
JR山手線目白駅での視覚障害男性の転落死亡事故に関して、
「まず駅員に介助をお願いしては」との投稿が、毎日新聞"みんなの広場"に
掲載されました。親切のようで何か勘違い、こんな意見を載せる毎日もヘンです。
放っておくのも困るので、反論投稿をしたら3月5日に掲載されました。

「障害者の手助け まず周囲の人が」
 視覚障害者が駅ホームから転落する事故で「積極的に駅員に介助をお願いしては。
鉄道事業者OBやボランティアに依頼も」と言う投稿が本欄に寄せられました。
この考え方は障害当事者から見れば、少し違和感があります。
 交通バリアフリー法が施行されて10年。障害者による公共交通機関の利用は
大幅に改善され、バリアフリーでけでなく、駅員らの対応も随分よくなりました。
お陰で障害者の多くが、介助者なしでも鉄道やバスに乗り降りできるようになったのです。
 ところが、困ったことが起きてきました。
障害者の介助が駅員やボランティアの「仕事」のようになってしまったのです。
 駅員はいつも障害者のそばにいるとは限りません。
(まして目の見えない人には何処にいるかは分かりません。)
だから、まず近くにいる人が障害者の手助けをしてほしいのです。
一人一人ができることをしようとする気持ちが、
障害者の転落を防いでくれると思います。

( 3/5 毎日新聞 みんなの広場 )

欧米人は実に自然に手助けしてくれますが、日本人はちょっと苦手のようです。
韓国では困っている人を見かけたら、自分の仕事を放ってでも手助けしてくれる感じでした。
「人として困っているいる人を助けるのは当たり前」と考えているのでしょうか、
単に「困っている人に親切」とは違うような、感じを受けます。
バリアフリー法の精神は「介助無しに乗降でき、利用できる」ことであり、
あまり「手助け」が要るようでは困るのですが、、。

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by yamana-4 | 2011-03-06 17:16 | 障害者問題 | Trackback | Comments(2)

トーキングエイドを施設にいる言語障害の子ども達にも! 厚生労働大臣への署名活動

◉「トーキングエイド」は、話せなくて筆談も困難な障害を持つ人のために作られた、
50音のキーを押して文章を入力すると音声読み上げする携帯型会話装置です。
コミニュケーションツールとして必要な用具ですが、福祉の生活用具とされていて
「補装具」にされていないので、施設入居者には給付されなくて以前から問題になっており、
何度か補装具指定への要望書が出されました。
しかし、いまだに制度改正がなされず困った状態が続いています。
愛知県の「トーキングエイダーズ」という使用者の会は、ずっとこのことを訴えてきていましたが、
DPIと愛知県の障害者団体が全国から署名を集め、
細川厚生労働大臣へ制度改正の要望をしようと運動しています。
署名のお願いが来たら、ご協力をお願いします。


★署名活動期間:12月末くらい迄
 問合せ先:名古屋市昭和区恵方町 2-15 AJU自立の家 デイセンターサマリアハウス内「トーキングエイダーズ」
 tel. 052-841-5554 代表 野口富子 さん
★要望事項:
 (1) 携帯用会話補助装置を、日常生活用具扱いから補装具扱いにすること。
 (2) 携帯用会話捕助装置の耐用年数を、5年から3年にすること。
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by yamana-4 | 2010-11-15 10:43 | 障害者問題 | Trackback | Comments(0)

「どこまで支援するか迷う」??

◉観念的な支援でなく、しっかり見守ることが大切では?
新聞にこんな投稿がありましたので「支援される立場」からお願いです。
[新聞投稿文抜粋]
駅前商店街の不法駐輪で困っていた白杖の男性を手引きして気になった。
手足の不自由な子供たちの教育経験から「本人に困難なことだけ支援、できることを支援するのは失礼なことだと考えてきた。」しかし、実際の場面ではどこまで支援するか迷うことが多い。いつも一歩手前で支援を止めてしまっている。経験を重ねながら、どこまで支援するのが適切か探っていきたいなと考えている。
(毎日新聞読者投稿欄「みんなの広場」3月7日掲載)
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一番大切なのは「きちんと見ること」だと思っています。
私は普通型の車いすでないので、飲食店でも会議でも座席に移乗したいのですが「介護専門家や知識のある人ほど、聞きもせずに一方的にイスを取り除く」ことが多くて困っています!
私の車いすではテーブルに就けないことは、見れば分かりそうなのですが「車いす=イスを除ける」と無条件にやってしまう。
「その人に必要な手助けは?」としっかり見ずに「知識で支援」をしようとするからでしょう。
どこまで支援するかは障害の種類や程度、その人の能力や考え方、使っている機具などによって皆違うと、分かっている専門家がサッサとイスを取り除きます。

投稿者は元養護教員の方のようで、専門家の一員と思いますが「どこまで支援するか迷う」と書かれているのは、やはり「何が必要かよく見る」ことより、「知識で支援」しようとされているからではないでしょうか?
何時でも通用する一般的な支援はありません!「本人が必要としていることを手伝う」で良いのではないでしょうか。

少し詳しく説明すると以下のようなことでしょうか。
「何か困っている?」とよく見定めて、必要だと思ったら声を掛けてから手伝う。
障害者に限らず、お年寄りや子供、いろんな事情で見守りの必要な人は沢山います。
ドアを開けていてもらうと助かるのは車いすだけではありません。
歩行困難なお年寄りや妊婦さん、荷物の多い子供連れなど、一寸した手助けが嬉しい人は多い。
旅行者で迷っている人も困っています。 
「障害者だけ特別に支援しなければ」と考えないでください。
手助けが必要な人には「お手伝いします?」と声を掛けて、求められたら手伝う。

でも、視覚障害の人へは声を掛けてあげて欲しい場面が多いですよ。
ホームから転落事故は付近にいる人が見守れば防げるはずです。
「親切」というより外国のように「マナー」とか「人として当たり前のこと」をする感覚であって欲しいと願います。
by yamana-4 | 2010-03-07 18:20 | 障害者問題 | Trackback | Comments(1)